『Torus』: 人工と自然の<はざま>の音楽(2/3)

Yuta Uozumi
Dec 9, 2020

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作品「Torus」が生まれるまで

作品とSjQが終わりかけた時

今回の「作品」が現在の状況に至るまで、11年の間が開いている。もちろん、ようやく姿を現しつつある内容[8]に至るまで、様々な道程があった。 振り返ると、それらは今回の音楽が生まれるのに、必須のことだったように思える。しかし、その時々は都度の状況に、必死に対応しているだけだった。

もともと、レコーディングは前作『Animacy』をリリースしてから程なく開始されていた。しかし、その後、「やり直し」を数度経ることになった。思い出せるもので3回はやりなおしている。
その理由は様々だ。しかし、最も危機的なインパクトがあったのは、メンバーの離脱だった。それも5人中2名。稀少な才能を2つも失い、SjQはトリオ編成になってしまった。しかもその時、新譜の楽曲も半分以上制作を終えてしまっている状態だった。

これは、映画でいえば、クランクアップまで半分以上残した状態でメインキャストが降板してしまったようなものだ。ほとんどメインになるシーンは撮り終えているし、残ったキャストで補完するにしても、そこに意味が出てきてしまう。内容の練り直しが必要だった[9]。しかも去った1人はドラム。SjQの奏法は特殊なため、代役も難しい。暗中、吹雪の中で遭難したような気分だった。

音楽制作は、精神的な活動だ。制作期間も長くなっており、このまま失速すれば音源プロジェクトどころか、SjQ自体が終わってしまう

再起動

座礁した船や、冬山遭難の如く、僕はその状況の難易度に絶望に近いものを感じていた。少しの間を置いた新年早々のある寒い日、残ったメンバーの、ベースのオオタニ、ギターのナカガイト、企画のアサリで集まることになった。奈良の猿沢池のほとりに、僕らが懇意にしていた、ギャラリー&カフェの女性店長が経営している小料理屋があり、そこで集まった(奈良は僕、ナカガイト、アサリの故郷というのもあり、いろいろ縁深い)。
この状況で、 みんなも深く絶望していると思っていた。しかし、違った。みんな、僕よりもむしろ前向きなくらいだったのだ。彼らは「3人という編成だからこそできるようになること」、「極端な方法論でやってきたことで、獲得したユニークさ」を既に見据え、何ができるかを考えようとしていたように思う。いなくなったメンバーが声が大きめの存在だったこともあり、これまで、みんなは寡黙気味だった。その彼らが、可能性と本質をすでに見ていた部分に、新鮮な驚きを覚えると共に、なかなかの腕力で僕の背中を押されたような体験だった。

食事をしながら、次期のSjQの骨子になる部分を、みんなで一箇条づつ描き据えて行った。そこで出た結論は、SjQのユニークネスをもう一度見極めること、その上で3人だからこそ可能な、最もシンプルな形と構造を目指す。それにより、既に録音した音源を超越する、または、全く別の音楽を生み出す。そのために、半分以上作り直すことだった。この結果出来上がるものは、知的な『パンク』なようなものになるだろう、と僕は直観した。

作品を決定づけた日

数ヶ月を経て事前準備を行い、録音に臨む。

そのための録音の場所は、故郷でもある奈良のある小さなあるピアノホール[10]だった。そこに在住していたピアニストが建築した空間で、ホールと言いながら、木造で残響はなく絶妙にデッドな空間。既に何度か今回のレコーディングの場となっている。

僕は機材を車に積み込み、東京から奈良へと夜、車を走らせる。この500km近い道のりを往復した回数は、百回を超えている。一時期は、500km近い東名高速道路上の、どこにどういう轍(わだち)があるか、身体が覚えている程だった。

July 14 , 2019 : “mosture” , “hotsure” , “shisen” , “・”の四曲がこの日に録音された

朝方、到着して、機材やマイクのセッティング。いつも少し早めに、アサリがスタンドやマイクなどの機材を運び込んでくれる。その後、みんなも揃い、いつもの音響的な様々をひとつひとつチェックしていく。
マイクの位置はセオリー無視。耳のみで、方向や位置をセンチ単位で合わせる。マイクプリの精度[11]がある程度あれば、慣れるとマイクの位置や方向で、コンプレッサーやEQ(周波数調整)のように、かなりサウンドメイクできるようになる。

トリオ編成になってからの録音は、すべて『一発録り』で行った。曲毎にSeed(種)と呼ぶ基本的なフレーズと演奏上のコミュニケーションのルールを組み合わせたものを録音する[12]。といっても、ワンテイクという意味ではなく、まず演奏を「あて」てみて、ルールや反応の具合を調整して、次のテイク。これを何度か繰り返す。基本的には演奏者同士や、プログラム内の数値の関係性を調整していく作業。つまり、『即興の設計』を行う。

各曲毎に即興の種となる音のセットとルールを決め、調整を繰り返す。ある瞬間、軌跡的なバランスが生まれたら終了して次、を繰り返した。

この日、三人で再出発してから一度切りの録音だったが、大きな転換点となった。トリオ編成になり、演奏にごまかしが一切効かなくなったのだ。確実に誰かの1音が、次の誰かの1音に繋がっていく。5人の時は、誰かが絶えず楽曲の骨組みと関係ない音を出していた。その、余計な音を出す「あそび」がなくなっていた。難しさはあるが、その分、演奏上の不具合で、何が問題かが掴みやすく、試行錯誤が明解に進む最もシンプルな形で、SjQの演奏構造とそのグルーヴが録音できた。

その日一日で合計で四つの曲を収録した。どれもOKテイクは奇跡的なバランスで収録され、後でミキシングなどで調整するのも、怖いくらいだった。同時に「これ、公演時にこの曲、実現できるのか?」と思う。この日、生まれた四曲が作品の方向と内容を一新したのだ

人間が機械を真似る。機械が人間を真似る

今回の録音ではもう一つブレイクスルーがあった。以前述べたように、抜けたメンバーの1人はドラムだった。複雑に編み込まれたかのような彼のビートの音圧はSjQの不可欠な体験要素であり、なくしたくない。

そこで、今回の録音でドラムはジェネラティブ(プログラミングを使って、自動生成する)な手法を使うことにした。もともと、「第六のメンバー」とされていた僕の生態系モデルを使った演奏ソフトウェア「gismo(ぎずも)」を使ってリズムを作る。ソフトウェア内に、微生物のようなエージェント(人工生命)と呼ばれるプログラムの群れを解き放ち、捕食被捕食という、「食べたり」「食べられたり」する関係をつくる。この人工的な自然の中で起こるイベントを元に、サンプラーや音響合成をコントロールするという仕組み。

かれこれ20年以上これを使い続けている。海外の電子音楽祭でこれだけを使って何度か演奏したりした、自分のライフワークのような手法。

DEMO1 :: gismo (初期型)

元々、SjQが作り出すグルーヴは、このgismoが生み出す音やリズムを参考にしている部分が大きかった。gismoは人間とは全く違う発想というか、そもそも異なる仕組みユニークな音楽構造を生み出す。

この感触を人間の即興で模倣することで、<自然を模した人工物>をさらに<自然 (肉体)で再現する>といった異質な感触を生み出せるに違いないと思ったのだ。つまり、SjQのドラマーは、gismoが作り出す、自然と人工の中間の「不気味の谷」のようなビートを模倣していた。そして、その点で彼の身体性は間違いなく世界で唯一無二の存在で(そもそもgismoがニッチだから当然だ)、だからこそ去ってしまったことの影響は大きかった。地球上に少なくとも、今は他にできる人がいないからだ。

DEMO2 : ヒトが人工生命によるビートを模倣した演奏 (エージェントとサンプリングへのオマージュに基づいている)

そこで、今度はgismoを使って、彼の身体性を真似ることを思いついた。
ドラマーだった彼の特殊な身体性は、自らを「半機械化」することだった。”rad”、”04M33S”など5人編成によるトラックを聴いてもらえば分かるが、その音質、アタック、減衰(キレ)などはまるでサンプリング・カットアップされたような演奏になっている。

この特徴はある意味幸運で、今度は機械(gismo)で彼のドラム、つまり彼の身体性を模倣する

そして、これがハマり、成功した。どうやって実現したかは、ちょっとしたプログラミング上のハック[13]だったんだけど、これは文字数を消費するので、どこか別の記事で紹介しようと思う。

DEMO3 : 人工生命の「群れ」によるヒトの模倣(開発とレコーディング)

この時、気づいたのは、人間の演奏者も、機械も、同じ山の頂上を、それぞれ別の側から登ろうとしていた[14]ということだ。こういうことは、今後の世界で当たり前のように起こってくるんだろう。人工と自然という区別は、やがてあまり意味がなくなるかもしれない。自然が計算したり処理していること、人工物が環境世界と知能の関わりをより理解して取り込んでいくことによって。

(つづく)

M01 “motsure” で用いた、エージェントがジェネレートしたドラム

[8]ようやく姿を現しつつある内容:執筆時点ではまだ未完成であった

[9]制作中のメンバーの減少:仮に、5人の内容ベースでリリースしたとしても、その後の作品公演は5人編成での演奏を、トリオで実演しなくてはならず、縮退感が出てしまう。しかし、後述のようにそれはやがて作品のかたちを生んだ。窮地にあるとき、既に「跳躍」ははじまっている。トリガーは、「持っているカード」と「状況」のカップリング。不要なものは手放して、シンプルにすることで運動性の余地をつくること。つづけること。

[10] 奈良のピアノホール:Sound & art gallery ‘sun moon star’
2019年7月4日にレコーディングがここで行われた。レーベルLeftbrain A&Rの植松くんも状況を気遣ったのか、顔を出してくれた。作品の骨子をつくる4曲が生まれる瞬間を全員で共有できたのは、なかなか奇跡的な瞬間だったと思う。

[11]マイクプリの精度:RME UFXは、今回の音源制作の神であったと言及しておく

[12] Seed(種):簡単なフレーズと演奏者同士のやりとりに関するルールづけ[5]を組み合わせたもの。フレーズの持ち方には大きく2種類ある。
一つ目は、アンサンブル全体で共有のフレーズを持ち、パス廻しで少しづつフレーズを進めていく方法。 二つ目は、演奏者が各自それぞれフレーズを持ち、パス廻しでそれぞれの演奏・反復を断続的に進めていくポリフォニー的手法である。後者の場合、各演奏者のフレーズの進み方が演奏内でも常に異なるので、アンサンブル全体としては各々のフレーズを文節化して、組み合わせた新しいフレーズが生み出され見続ける効果が生まれる。今回の作品では、ほとんどがこの手法を採用している。

[13]gismoをヒトのビートに近づけるハック:僕はこれを量子論的クォンタイズと(勝手に)呼んでいる。クォンタイズ自体、量子っていう意味だけども。発音タイミングを揃える時間上のグリッドを不均一にすることで、エージェントのビートのタイミングの確率を調整する。エージェントの即興を活かしつつ介入することで、自然と人工の<はざま>で変化し続けるビートを生成。

[14]人間の演奏者も、機械も、同じ山の頂上を、それぞれ別の側から登ろうとしていた:これは何か本質的なものを捉えている気がする。ヒトと機械、自然とヒトという対比はどこかで非常に曖昧な世界が生まれるかもしれない。

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Yuta Uozumi

電子音楽家、メディア芸術家。バルセロナ、ベルファスト、コペンハーゲンなど、国際的な公演を行う。2013年、「SjQ++」としてアルス・エレクトロニカ Award of Distinction受賞。慶應SFCにて特任講師、東京の制作会社にてシニアプランナー兼務。『産・学・芸』境界民。